日本にある城は観光名所にもなっていて注目を浴びています。
しかし「試しに行ってみよう」と思った城が高い山の上にある場合があります。
山の上にある城を高い順でランキングにしてみました。
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そもそも何故高い山の上に城があるのか?
観光で見物に行く場合は「こんな高い所に城を作らなくても・・・」と思うかもしれません。
しかし戦いに備えるのが城です。
登るのに苦労する山の上に城を作り敵が攻めるのに難しくするのが目的です。
そんな戦の為の城が山城なのです。
天空の城竹田城
ランキングに行く前に参考に近年有名になった山城を参考にしましょう。
その城は兵庫県朝来市にある竹田城です。
石垣だけしか残っていませんが、霧や雲海に包まれた姿が「天空の城」と言われて名所となっています。
では竹田城はどのぐらいの高さにあるか?
標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂にあります。
ちなみに織田信長が天下布武を宣言した場所と言われる岐阜城は金華山(稲葉山)の山頂329mにあります。
標高の高いお城ランキング
第3位「備中松山城」(岡山県)
備中松山城は岡山県西部の高梁市にある臥牛山(がぎゅうさん)にある山城です。
その臥牛山は標高が最も高い所で487mもあります。
松山城は臥牛山の頂の一つである小松山の430mの頂上あります。
この備中松山城の特徴は天守にあります。
天守は慶長5年(1600年)に建てられた時から現存している貴重なものです。
二層の高いとは言えない天守ですが山城で建てた当時のまま姿は他にはありません。
第2位高取城(奈良県)
高取城は奈良県高市郡高取町の高取山の山頂に築かれた城です。
その高さは583.9mです。
城ができたのは南北朝時代の頃と言われます。
築城をしたのは南朝方の越智八郎で越智氏の城となります。
豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた後に豊臣家の家臣である脇坂安治や本多利久が城主となります。
江戸時代には本多氏から城主が何人も代わった後で植村氏が代々の城主となり高取藩の藩庁が置かれます。
幕末になると尊王攘夷派の天誅組と高取藩の戦いが起きます。
天誅組は高取城を攻撃に向かいますが高取藩が城より前で天誅組を撃退したので高取城が戦火に巻き込まれずに済みました。
明治時代に廃城となり城の建物は寺院に移築され天守は放置されたせいで倒壊してしまいます。
現在では石垣などの城郭だけが残ります。
1位美濃岩村城(岐阜県)
岐阜県恵那市にある岩村城は標高721メートルの高さにあります。
そんな岩村城の歴史は長く、鎌倉時代に遠山景朝が築城したのが始まりです。
戦国時代になるまで遠山氏が城主でした。
戦国時代になると岩村城は織田家・武田家・徳川家の領地と隣り合う重要な地域にある城になっていました。
そんな岩村城は遠山氏から織田家の城になります。
その城主は本来の跡継ぎが幼い為に織田信長の叔母にあたる「おつやの方」が務めました。
しかし、元亀3年(1572年)におつやの方は武田信玄の家臣である秋山虎繁と婚姻して武田家に寝返ってしまいます。
3年後の天正3年(1575年)に織田信忠の軍勢によって岩村城は取り戻され、おつやの方は捕らえられて処刑されてしまいます。
悲哀の舞台になった岩村城は信長亡き後は城主が森氏・田丸氏・松平氏と入れ替わります。
明治時代になると廃城になって今の石垣だけの姿になりました。
真の最も高い城
紹介した備中松山城に高取城・美濃岩村城は有名な山城です。
しかし美濃岩村城を越える高い所にある山城があるのです。
それが長野県松本市にある中塔城です。
中塔城は標高1256メートルの金比羅山にあります。
北条氏の城で武田信玄の軍勢が苦しい戦いを強いられたほどの山城です。
現在は城郭跡や堀など城だった痕跡しか残されていません。
そんな中塔城を観光で行くのはお勧めし難いところです。
山の中は道が整備されておらず急な斜面があるなど危険が多いからです。
山城を見に行くと言う事は…
山城を観光として見に行くのは登山する事も考えて行くべき所です。
ある程度の気構えや準備が必要ですが山城から眺める光景は当時の城主に近い体験ができる面白さがあるのです。