長野県道85号線(穂高明科線)沿いに『白狐(びゃっこ)神社』があります。
境内に続く参道は舗装されておらず、自然と土地柄が色濃く残る穏やかな雰囲気を感じます。
西に北アルプスを望む安曇野の風景を眺めながらの散歩は、ランチの後のリフレッシュには最高の時間です。
早春の安曇野風景です。
左よりの台形の山は『有明山』(ありあけやま)といいます。
ここには山頂に『有明山神社』の奥社があります。
境内入口の鳥居まではまっすぐな道。
トトロに出て来そうな不思議な感覚が起こります。
日光の当たる手前の農地とは対照的に、鳥居の向こうの木立の影は空気まで違う感じです。
鳥居前の脇には一対の狛犬が対峙しています。
農村部集落の端に位置し稲田に囲まれた位置にあり、遠目にはよく見かける鎮守の杜のようですが、境内に入ると凛とした気配を感じます。
この神社の名前が『白狐』であり、祭神が倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
稲荷系の神社だと思い込んで、最初に現地に立った時には「狐じゃないの?」と思いました。
白狐神社の由来
白狐神社は『狐島』という地区にあります。
狐島の名前の由来は複数ありますが、島とは複合扇状地にできた中洲のような地形をさします。
この地区は高瀬川や乳川・烏川が合流し、すぐに信濃川の源流にあたる犀川と合流する地点にあり、複数の河川がそれぞれ扇状地を形成し流域を変化させながら出来上がった地形です。
昔この地区は、領地の境にあり増水のたび河川流域が変わることもあり、領地を監視するための見張り所が配置され、この見張りのことを『狐』と呼んでいたことから『狐島』となったという説や、石の多い荒野で狐がたくさんいたからだという説等があります。
春先の安曇野。中央が常念岳
永禄元年(1558)の創建と伝えられ、この地区の産土神社です。
白狐の名は、この地方で鬼人といわれた八面大王が征夷大将軍坂上田村麻呂に攻められ、白い狐に化けてここまで逃げて捕まったという、言い伝えに由来すると言われています。
白狐神社の勧請由来は未見聞ですが、稲荷系列の神社から分社しているのかもしれません。
白狐神社のご祭神と後利益
須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に誕生した
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
『うか』とは日本の古語で『穀物や食べ物』を意味し、現在は穀物の神としてだけでなく、農業や商工業の神としても信仰されています。
別名
- 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
- 御食津神(みけつかみ)
- お稲荷(いなり)さん
みなさんもご存知の、有名な伏見稲荷大社の祭神でもあります。
祭事
例大祭 9月上旬の日曜日
参道脇にお住まいのご老人に聞いたところによると、昔は決まった日が祭りでしたが、氏子に勤め人が増えたので日曜日にしたとのことでした。
『千度石』です。安曇野の神社でお祭に『お船』や台車の出るところでは、この石の周りをめぐるパフォーマンスが多くみられます。
『千度石』→『船渡石』(せんどいし)と読み替えている神社もあるようで、河川集中地帯での治水の歴史の中で、水を治めるために神社をかまえた集落も少なくないのでしょう。
近くの観光スポット
わさび畑
穂高地区はわさびの生産が盛んです。
有名なのは『大王わさび農場』ですが、常盤橋の右岸側を歩いていくと、昔ながらの小規模なわさび畑を見ることができます。
小規模のわさび畑です。
地元ではこの規模の畑が散在しています。
わさび畑の周りには日陰を作るための樹木が植えられており、遊歩道として楽しむには最高のロケーションです。
早春賦碑
わさび畑を眺めながら穂高川右岸を歩いていくと唱歌の『早春賦』のモニュメントが見えてきます。
「春は名のみの風の寒さや~」で始まる『早春賦』は大正二年(1913)に発表された、吉丸一昌が作詞し中田章が作曲した馴染み深い唱歌です。
モニュメントにはソーラシステムを使ったオルゴールがあり、犀川への合流点を眺めながら晩冬の安曇野に思いをはせるのも一興でしょう。
白狐神社へのアクセス方法
新宿から、JR中央線で、JR松本駅松本まで、特急あずさで、約2時間半です。
JR松本駅から大糸線でJR穂高駅、約30分です。
駅前の『穂高神社前』信号を左折し、道なりに左手に郵便局・消防署を見ながら1.4kmほど進むと、国道147号線の信号があります。
その信号をさらに直進し600mほどのところに『常盤橋』があり、そこから200mの左手に参道入口があります。
目安は『丸山菓子舗工場店』が曲がり角にあります。
高速道路では『安曇野インター』を降りて直進し『重柳』の信号を右折し、道なりに進み高瀬川の右岸道路に入り『安曇橋西』信号を左折して300mほど行くと右手に参道入口があります。
駐車場は付近にはありません。